誰しも「あの時こうしておけば良かった」「あの日他のものを選んでいたら今頃・・・」と思ったことはありませんか?
時は戻せないので、やり直しできないからこそ、あの時を思い出して後悔に似た思いを寄せる。つまり無い物ねだりです。
でも、もし実際にやり直すことができたとしたら、あなたは本当にやり直してみますか?多分絶対にやらないと思います。
そして、もしそれをやり直せたら、あなたは別の選択を今からでも選択しますか?多分選択しないと思います。
たとえ今の自分に満足していなくても
「今のあなたはあなた自身が選択してきた積み重ねだ」
とよく聞きますが、本当にその通りなんだなと今私ははっきりと実感できます。
この歳になって、救急救命士の資格取得という捨ててきた夢を回収しに行くことをしてみたのですが、
高校一年生の時に、救急救命士と歌手を天秤にかけたあの日のことを改めて思い出してみました。
なぜ救急救命士を選ばなかったのかと。
他にもアナウンサー、刑事、パイロット、キャビンアテンダント、いろいろやりたいことはあったのですが、
その時の私の意思は揺るぎないものでした。
「そのどれもが、歌手を諦めてまでやりたいことではない。」と。
歌手に勝るものがなかったのです。
どれも本当に今でも憧れていますし、人生を一度に何パターンも過ごせたら、全部やりたいほどです。
刑事なんて、受験資格を喪失した年齢になった時は少し落ち込んだほどです(とっくにシンガーソングライターとして活動していたのですが(笑))。
それでもです。それでも私は「歌手」しか考えられなかったのです。
それほどまでその時の私は歌手になりたかった。
やがてデビューし、シンガーソングライターとして今日に至るのですが、もはや仕事は仕事ではなくなり、私自身になってしまっていました。
高校生の私が見たら、すべてが夢のような生活のはずです。
高校生の私が見たら、何もかもが憧れの中にあり、どれほど幸せな人生なのか、飛び上がって喜ぶはずです。
それが普通になり、高校生の頃はメジャーレコード会社の封筒すら宝物だったのに、
スタジオでレコーディングなんて夢のまた夢で信じられないことだったのに、
その会社にはなかなか行きたくない、スタジオに行きたくない、、、なんて言ってる私がのほほんと生きているのです。
慣れって恐ろしい。
そして、夢ではなくなり現実になるということはこういうことなのだと思います。
仕事なのにいつまでもキャーキャーしてんじゃねぇ、って感じです。
夢を現実にするということは、つまり夢から覚めろということなのかもしれません。
そしてコロナ渦になり、活動が出来なくなりました。デビュー20周年を迎えた頃です。
イベントもキャンセルになり、ある指定された期間、イベントを中止せざるを得なかった事業には、
150万円もの補助金が出たことも知らず、ただただ何もせず赤字を回収できぬままダラダラ過ごした一年がありました。
年齢的に、とにかく何か学びたい衝動に駆られていた時期で、1日に一冊小説を読むというような日々でもありました。
音楽生活約20年間、アウトプットだけをただひたすら繰り返し、出し切って空っぽになってる自分がいたんだと思います。
そして、たまたま救命士を思い出し、検索してみたらタイミング良く入学受付シーズンで、思いついてから約二週間で見学、入試、合格、入学手続きを済ませていました。
これと決めた時の行動の速さは、自分でも感じています。
何かをチャレンジすることのワクワク感は大好きなのかもしれません。
道を切り開いていくプロセスが好きなのかもしれません。
迷いはありませんでした。
・・・いや、試験に合格して入学金を振り込むまでは、多少躊躇しました(笑)。
如何せん、学費が目ん玉飛び出るほどの高額だったからです(三年間で総額高級車1台買える金額になりました。)。
今でも総額幾らかかったのかは、両親には話していません。
ま、独身だし、これといって欲しいものもないし、これも音楽の肥やし、いろんな取材ができる!と、半ば言い聞かせるように、こうやってお金を使うのも悪くないよね!ね!と振り込んだのでした。
そして、地獄のような勉強、試験の日々。高校や大学とは全く勝手が違います。
キャンパスライフ、、、なんて響きの良い言葉でしょう。そんなもん専門学校にはありません。
国家資格取得という明確な目的を持った、それだけの為の養成所です。
お友達を作り、キャンパスライフを楽しむ様なところではありません。
1年生が終わった頃、先生に辞めたい、せめて休学したいと申し出ました。
2年生が終わった頃、先生に辞めたい、せめて休学したいと申し出ました。
3年生、登校拒否寸前でした。30年もののスーツを引っ張り出して着て行った切ない消防実習。地獄の病院実習。
そしてこの3年間、科目毎の留年がかかった認定試験の嵐。
壮絶すぎました。
周りは何語を話しているかわからない18歳の宇宙人たち。
ウザがられてもおしゃべりに割り込むおばちん柴田。
そしてふと気づくのです。私何やってるんだろう、と。
しかし、この壮絶すぎる学生生活の前の生活が、既に思い出せなくなっていました。
好きに暮らしていたはずですが、それが想像つかないのです。
毎日6時半に起きて、16時くらいに帰宅する。
通学の行き帰りで半分以上体力を消耗するので、帰宅後は倒れます。
ですから、勉強したいなら帰り道で体力を消耗する前に放課後学校に残ってするしかないのです。
そうすると夜8時頃まで勉強して帰宅になります。
それを3年間月金でこなし、土曜日は疲れ果てて寝続け、日曜は翌日からの一週間に備える。
実家にも帰れませんでした。ですから犬にも。
学校の近くに以前お世話になったプロダクションがあり、社長がこれからいつでも学校帰りに一緒にご飯が食べられるね!
と言って下さっていたのに、たった一度もお会いすることすら出来ませんでした。
友達にも会えませんでした。
学校が都心にあったので、街に出ていて夕方から体は空いていました。ですが、体力が一滴も残っていませんでした。
メイクする気力すらなく、毎日家族にすら見せたことのないやつれたすっぴん顔で登校し、先生方をはじめ、クラスメイトには醜い姿を見せ続けてしまい申し訳無かったほどです。
そんなわけで、受験を控えた3年時は、夏休みはもちろんありませんでしたし、冬休みもお正月もありませんでした。勉強勉強でした。
私にとっては、今までの人生の記憶がなくなるくらい壮絶過ぎたのです。
そして、あれやこれやでいよいよ国家試験。そして合格判定の現在。(29日の発表待ち)
達成する喜びは勿論ありましたが、何よりも幸せだったのは、この壮絶な学校生活からの解放だったのです。
受験資格を得られた時点で、この学校に通った意義は保てました。
あとは、ゆっくり何度でも国家試験にトライすれば良いのです。
この資格は、命に関わる資格なので通信や独学で受験できるものではありません。
この壮絶な3年間を経て初めて国家試験を受けられるのです。
つまりこの3年間は、資格の為の資格。資格以上の資格。そんな感覚です。
ですから、たとえ不合格でも落ち込む必要は全くないのです。面倒臭いけれども。
それがわかるのも、私がこの歳だからでしょうか。
落ち込む生徒を見る度に、落ち込む必要なんてないのに、、、と何かと思っていました。
君達には、何度でもやり直せる時間がある。何にでもなれる。それが若さなんだよって伝えるんだけれども。
まだ社会を知らない子供達には伝わらないのです。わからないのです。それも若さですよね。
一度や二度の失敗?なんて鼻くそ程度。こんなんで挫折してたら社会に出たらやってらんない。もう一回トライすればいいだけの話じゃないか。もっとシンプルに!と伝えたくなる。
だけどうるさいババアになるだけなので、最小限に。これでもうるさかっただろうけども。。。
とても距離感が難しかったです。
そして、必要以上に社会の厳しさを教えたくもないですしね。
夢に溢れて、目がキラキラしているその美しい目を曇らせたくなかったし。
そして、前置きが長過ぎましたが(前置きだったの?笑)最初に書いた人生やり直せる話に戻るのですが、
こんな壮絶な経験を経て、私は置いてきた夢を改めて回収しに行きました。
誰しもがやりたくて出来ない「あの日に戻る」ことが出来ました。
やはり私がやりたいことが沢山溢れていました。
理想的に働いている方にも出会えることが出来て、いつか私もそんな風にこの資格を活かして何かしら活躍できる日が来たら、、、とも。
そして、今のシンガーソングライターの自分を振り返ることが出来たのです。
救命士を目指している柴田淳という立場から、シンガーソングライター柴田淳を見ることが出来たのです。
自分の立場を変えて、今の自分を見るということはなかなか出来ることではありません。
それこそ、生まれ変わったり、平行宇宙がないと無理です。
できるとすれば、その立場を失い別の立場になる、ということくらいでしょうか。
今の自分を温存しておいたまま、他の立ち位置から自分を見るということはなかなか出来ることではありません。
でも、今までの生活が全く思い出せないほど壮絶なところまで行き、シンガーソングライターの柴田淳をファンと同じような立ち位置で振り返ることが出来たのです。
やはり、私は歌手を目指して間違いなかったと思いました。
私がここにいるのは、あらゆる現在は、私が選んできた積み重ね、集大成なのだと。
そして、今になって救命士を目指したのも、私が選んだ選択なのです。
そこでの辛い経験も、この壮絶な3年間も、全て私が選んできたものです。
何もかもが自分の選択で成り立っているんだということがよくわかりました。
だからこそわかる世界、だからこそ見える世界、今だからこそ意味があること、、、、
その上で、シンガーソングライターの生活に戻る。
戻れる贅沢さ。チャレンジして確認して元に戻れる幸せ。
(産休して育児をして、落ち着いたらまた職場復帰したい、ということと同じかも。)
でも戻ってきた今は、今までの今ではない。
まるで過去を変えて戻ってきたら、現在が少し変わっていた、、、、そんな現象に似ているかも。
もう今までの柴田淳ではない。
救命士を目指す前の柴田淳はもういない。
合格すれば、救急救命士でありシンガーソングライターの柴田淳なわけで、、、、。
そんな資格無駄だ
消防でなきゃ使えない資格なのに(現在は法改正され救命センター他様々な分野で活躍を期待されています)
お金にならないよ
なんで資格取るの?
資格取るだけ?
どうするの?
資格=お金とか、その資格で働くことしか考えられない方々から、様々な辛辣な言葉を頂きましたが、資格は一生ものです。
その資格をどう活かすかは私の勝手です。
既に勉強しただけで意味を見出していると思っています。
そもそも、ちょっと便利な一般人になりたいので、、、と動機を書いています。
既存の働き方、生き方しか想像できない人は、私のことを否定します。
勉強したいということがそんなにいけないことなの?
お金にならないなら勉強しないというのはあなたの生き方。私は違う。
何でもかんでもお金になるか、ならないかでしか行動できない人って、心が貧しいのだと思います。
本を読むのは、賢くなりたいからではありません。理由はありません。活字が好きだからです。
勉強したいのは、勉強したいからです。知りたいからです。
資格を取るのは、その資格がいつか自分を助けてくれるかもしれませんが、ここまで知識を得られたお墨付きを頂きたいからでもあるのです。
また、改めて学校に通うなんて凄い!偉い!とよく言われますが、勉強したいものをしているだけで勉強が好きなわけではないのです。
現に、3年時に必修科目に社会と英語と国語と数学がありましたが、とても苦痛で、「秀」と「優」しかない成績表の中で、国語は「可」でした。作詞家でもあるのに国語は「可」です。小論文の書き方なんぞわかりません。柴田さんには期待していたんですが・・・とまで言われました。何とでも言ってください(笑)。
私はこんな風に日記を書くことが好きで、それだけでいいのです。小論文は下手でいいです。業者の小論文添削も、コテンパンに書かれました。私はきっと文章がとても下手くそなんでしょうね。
でも死にゃしません。ボキャブラリーの少ない言葉で、それでも感動してくれるリスナーが現実にいる。それでいいんです。
そんなんじゃ成長しない?いや、私の人生に必要ないからいいんです。シンガーソングライターが小論文を提出する機会なんてないので。必要あればやらなきゃいけないけれども。でももういいです、疲れました(笑)。
ここまで人生生きてると、どんどん要らないものを脱いでシンプルになって行こうと思うようになりました。
必要なものだけでいい、万能になろうとしなくていい、できることだけでいい、やれることだけでいい、、、と。
だから、別に小論文のスキルがなくても、、、(笑)。ダメですかね(笑)。
と、こんな感じで、興味あることにはとことんやりますけど、嫌いなものはとことんやらない。そんな人間です。
この3年間を越えられたのも、ただ知りたい知識を学んでいたからなだけで、必修科目の社会、英語、国語、数学、それらだけだったら、1ヶ月も保たなかったと思います。つまり好きなことをやっていただけで、大したことはしていないのです。
そんな中で、欲張りに過去においてきた夢を回収しに行き、何とか掴めたようですが、その資格をゆっくりのんびりどう活かして行こうかと考えて生きていくのも良いかなと思っています。
こうしなきゃダメ!というマストな考え、良い加減やめませんか?人にも自分にも。
そして、自分には理解できないことをする人を無意味に否定するのも、そうなれなかった、そう出来なかった、そうしなかった自分が保てなくなるからです。自分に言い訳が出来なくなるからです。
私は勧めませんが、人生やり直したいなら今からでもやり直し出来ますよ。
この歳になると、体力というより気力が足りなくなるのでとてもしんどいですが。
やろうと思えばなんでも勉強出来るはずです。
お金のせいにしないで下さい。お金はなくても勉強は出来ます。国が図書館という素晴らしい知識の貯蔵庫を無料で作ってくれています。
何か面白くないと思う人は、きっとどこか自分の言い訳にしてるところがチクっとして、都合が悪いんだと思います。
そうやって言い訳して生きていくの、とてもしんどいと思います。
自分に限界を設けず、もっと自由だということに気づいて欲しいです。